2004年12月31日
国連「持続可能な開発のための教育の10年」に寄せて
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国連「持続可能な開発のための教育の10年」に寄せて
2005(平成17)年大白蓮華新年号掲載
創価学会インターナショナル会長 池田大作
「持続可能な開発のための教育の10年」が、いよいよ2005年からスタートします。この10年は、人類を「持続可能な未来」
の道へと方向づける前進のチャンスであり、逃してはならない重要な機会であります。
「持続可能な開発」とは、未来の世代を犠牲にすることなく現在の必要を満たしていくことであると定義されています。
今、人類の4分の1以上の人々を苦しめている慢性的貧困をはじめ、飢餓、紛争、人権抑圧、環境汚染、生態系の破壊など、
人間の尊厳と生存を脅かし、人類の未来を蝕んでいる「地球的問題群」が、私たちの眼前に立ちはだかっています。そして、
それらの間窺群は単独で起こっているのではなく、互いに連動し合い、問題をより深刻化させております。
2004年のUNEP (国連環境計画)の報告では、将来、気候変動によって、洪水や旱魃(かんばつ)が増大し、その結果、
人口の大移動が起こり、国は脆弱化し、貧困がさらに拡大・悪化する危険性があると指摘しています。
事態をこのまま放置して、地球生態系の破壊や、その他の社会的な不安定要因が互いの問題を加速度的に悪化させ、
取り返しのつかない事態を招く前に、地球社会全体を「持続可能な開発」という方向に導くことが焦眉の課題となっています。
未来を聞く力ギは
人間の内なる変革
「教育の10年」を中心になって進めるユネスコ(国連教育科学文化機関)が策定したビジョンには
「世界中の人々がポジティブな社会変革と持続可能な未来を実現するための価値観、行動、生き方を学ぶ教育の機会」の必要性が示されています。
そして、その具体的な内容として、国際的な実施計画の中で、環境教育、平和教育、人権教育、開発教育など
が網羅されていることが注目されます。
「持続可能な開発のための教育」がもつ、こうしたきわめて包括的な視点は、分散された知識を融合させ、
相互に高め合っていく新たな学際的研究の可能性を引き出すでしょう。
そして何よりも、「教育の10年」の実施にあたっては、次代を担う青少年の幸福に徹して焦点をあてることが肝要であり、
初等教育から高等教育に至るまで、その教育内容を高めていく努力が求められます。またそれは、家庭や職場、地域のコミュニティーなど、
あらゆる場所や機会を通じて重層的に実践されなければならないものです。
持続可能な地球社会を建設するためには、人類の過去から現在に至る豊かな智慧の源泉を、未来のために共有することが第一歩となります。
その共有すべき規範や価値観、行動原理を、様々な文化や宗教を代表する人々が粘り強い対話を通してまとめ上げた、
いわばグローバルな民衆の英知の結晶というべきものが※「地球憲章」です。
地球憲章の前文には、こう謳われております。
「自然への愛、人権、経済的公正、平和の文化の上に築かれる持続可能な地球社会を生み出すことに、私たちはこぞって参加しなければならない。
そのためには、この地球で生を営む人間として、私たちは互いに、より大きな生命の共同体に、そして未来の世代に対して、
責任を負うことを明らかにすることが必要不可欠である」と。
その意味から言えば、「持続可能な開発のための教育」とは、互いに深く密接に連動し合う自己と世界とのつながりを認識することから始まります。
ただしそれは、単に知識として学ぶだけでは、現実を動かすカとはなり得ません。知識の段階にとどまることなく、「自分としてどう行動すべきか」
を常に考えながら、自身の生き方を鍛え上げていく「内面の営み」が不可欠となるのです。
私自身、この30年以上にわたり、世界の多様な文化、宗教、知性を代表する多くの方々と、直接お会いして語り合い、共に、
地球的問題群を解決するための道を模索し続けてきました。そうした対話の中から得られた結論の一つは、人類の未来を開く最も重要なカギは、
まさに、人間の内なる変革、すなわち、「人間革命」に帰着するということであります。
私はかつてコロンビア大学ティーチヤーズ・カレッジで行った講演(1996年6月)で、21世紀の人類が目指すべき「地球市民」の実像を、
以下の3点に要
約しました。
一、生命の相関性、すなわち縁起の法を深く認識する「智慧の人」
一、人種や民族や文化の“差異”を恐れたり、拒否したりするのではなく、相互に尊重し合う寛容の心を持ち、成長の糧(かて)としゆく「勇気の人」
一、身近に限らず、遠いところで苦しんでいる人々にも同苦し、連帯しゆく「慈悲の人」
これらの資質を深め、強化し、自身の日々の生き方にしていくところに時代転換のカギはあります。そして、
この人問の内なる心の変革を促す土壌となるように資することにこそ、「持続可能な開発のための教育」の眼目が置かれなければならないと思います。
仏法の縁起観から
因果の連鎖を洞察
先に触れたように、持続可能な地球社会の礎となる「共生」のエートスは、自己と世界との相互連関を理解することから育まれます。
この連関性は人間自身、人間と人間、人間と生態系という、三つの次元の関係性としてとらえることができるでしょう。
人間自身を知るためには、内なる自分との対話が欠かせません。また、自己と他者、自己と世界の関係性の連鎖をあらわす「縁起」という世界観は、
仏教の基本的な思想であります。
心が欲望にとらわれ、食欲になると、人は往々にして周囲の状況が見えなくなるものです。そのような人間の欲望の破壊的性質について、
ある仏典には、次のような説話が記されています。
釈尊は、世俗的な欲にとらわれた、ある一人の修行者に向かって、比喩をもって、こう語りかけた。
「たとえば、村の近くに森があり、一本の果樹に、熟した実がたわわになっていた。一人の人がやって来て、
その果樹に登り欲望のままに実を食べ始める。腰の袋にも実をいっぱい許め込んだ。
そこへ、やはり果実を求める第二の人がやって来る。木に登れない、その人は、木の実をすべて自分のものにしようと、斧で木を切り始めた。
もし木が倒れたら、気がつかない最初の男はけがをするか、死んでしまうかもしれない」
「欲望にとらわれる時、人は悩み多く、苦しみ多いのだ」---と。
仏法の視点からいえば、このような人間と人間、人間と自然の調和を破ろうとする自己破壊的な衝動が、
私たち人間の心の奥に潜んでいることを自覚しなければなりません。
自己と他者、自己と世界の関係性の連鎖、因果の連鎖の中で、自らの行為がどのような影響を生み、結果を招くかを思慮できない者を、仏法では、
「愚かなる者」「無明に覆われた者」と教えています。そして、その無明が自身のみならず、
やがて世界をも破壊していくであろうことを警告しているのです。
環境問題にしろ資源・エネルギー問題にしろ、自身のエゴのために、他者の不幸の上に自身の幸福を築こうとする発想が行き着く先は、
ほかならぬ自分たちが暮らす地球というかけがえのない生態系を土台から突き崩してしまうという結末にほかなりません。
すべての存在は、密接不可分に結びつき、互いに原因と結果の関係となり、
その因果の連鎖によって変化していく相関関係にあると認識することが重要なのです。すなわち、人間存在は、「地球憲章」が
〝より大きな生命の共同体″と呼ぶところの、すべての存在に繋がっているのです。
そして、このような認識をもって、同じ地球上で生きるすべての人々への共感性を育むとともに、
私たちの時代のはるか後の世界にも思いをめぐらせ、未来の世代に対して責任ある行動をとっていくことが、「教育の10年」を通じて、
私たち人類が目指すべき共通の目標であらねばなりません。
地球上の生きとし生けるものすべてと、そして地球そのものとの結びつきをさらに深く自覚し、世界を覆っている憎悪や分断に、
またその聞から生まれる無力感に、決して屈してはならないのです。
学ぶ、見直す、
行動を起こす
問題を起こしているのは人間自身ですが、だからといって人間自体に絶望してはなりません。また、その未来に悲観的になる必要もありません。
この広大な生命共生の網の中で、人はみな、その人にしか果たせない使命を持っています。
2004年度のノーベル平和賞の受賞者となった、アフリカ・ケニアの環境活動家ワンガリ・マ一夕イ女史が、「グリーンベルト運動」を創設して、
多くの女性たちとともにアフリカ各地に植林活動を展開し、今日まで約3000万本を植樹したように、立ち上がった〝一人″は、
世界をも変える力を持っているのです。
「ふつうの人々でも生活を変革し、改善することができるのです。……彼女たちは無学で、中には裸足で生活する人もいます。
その人生も平凡かもしれない。それでもやり遂げたことは、お金や靴や車があり、教育を受けた人より偉大です」と、女史は語っています。
一人ひとりの人間には無限の可能性が秘められているのであり、人類が抱える深刻な課題を解決するための智慧や洞察も、私たちの、
わけても若い世代の人々の心の中に備わっていることを忘れてはなりません。
「持続可能な開発のための教育」といっても、人間性に信を置かず、また人間の力を最大限に発揮させようという決意なくしては、
実りある成果を得ることは難しいでしょう。
このことを念頭に、私は2002年に発表した環境提言では、
一、現状を知り学ぶこと
一、生き方を見直すこと
一、行動に立ち上がること、
の三つの段階を踏まえて、「教育の10年」の取り組みを総合的に進めることの重要性を提案しました。
こうした環境と人間との連関性を踏まえた教育の重要性を、今から100年も前に訴えていたのが、創価学会の牧口常三郎初代会長でした。
『人生地理学』の中で、牧口初代会長は、人間と自然との密接なつながりを、また自然現象との多様な関わり方を、
様々な例をあげながら説いています。例えば、同じ山でも、いろいろな受けとめ方があります。実用の対象として、
農林業や経済上の可能性を期待することもあれば、芸術の創作に美的インスピレーションをもたらすこともあるでしょう。また、
故郷を懐かしむ気持ちを湧かせるかもしれません。
さらには、牧口初代会長の言う公共の観点から、その山が地域の共同体や未来の世代にもたらす価値に注目することもできます。また、
山は精神的な悟達や宗教的交感さえ与えることもあるでしょう。しかも、こうした自然との様々な交流について、
牧口初代会長は優先順位をつけていません。
また、『人生地理学』の冒頭は、部屋の中にあるものを眺めるところから始まります。どの品をとっても、
様々な国の様々な人々の手によって作られているものであり、そうした世界とのつながりに思いを馳せれば、
自ずと他の国民や他の文化の恩恵に感謝と尊敬の念が生まれるではないか、と指摘しているのです。自分たちが呼吸するのと同じように、
他の国の人々も呼吸をしている。その息づかいや笑い声まで聞こえてくるような、瑞々しい感性で文章がつづられております。
そこには、郷土から国家を見つめ、さらに国家から世界を見つめていくという視点があります。世界を知り、自然を慈しみ、
他者を思いやるという共生の概念を、少年少女でも分かるように、身近な例で具体的に教えているのです。
牧口初代会長はまた、人間は物質そのものを創り出すことはできないが、価値を創造することができる、と指摘しています。
そして、智慧を耕しゆくことが、子どもたちの価値創造の力、すなわち世界をより健全で、より美しく、
より良いものにしていく能力を高める源泉になると見ていました。
なかでも人間の価値創造の能力は、物理的資源に制限されるものではないという洞察は、持続可能な開発の核心を突くものです。
そこから浮かび上がってくるのは、現代の世代だけではなく、はるか未来の世代まで、
すべての人々が尊厳と充実感をもって幸福な人生を歩めるようにするには、尽きることのない人間の価値創造の力を開拓する以外にない、
と
いう視点であります。
欲望を価値に変える
欲望から価値を生む
ここでカギとなるのが、いかに人間の欲望と向き合っていくかという点です。仏教というと、多くの人は〝欲望の否定″を連想し、
禁欲的で瞑想的なイメージから、世俗を離れた、あるいは超越したものと思いがちです。しかし、それは、
時代と社会の現実に身をもって真正面から取り組んだ釈尊の本来の精神ではありません。真の仏法は、欲望を滅するのではなく、
それをコントロールし、価値創造の方向に向けていくことの大切さを強調しています。
大事なのは、自分が欲望をコントロールするのか、それとも欲望にコントロールされるのか、であります。欲望に振り回される生命状態は〝餓鬼界″
であり、際限のない欲望が満たされることはありません。
仏法では、さらに、欲望を善の方向に向けることによって、人間の幸福のための価値を生むことができると説いています。
正義を渇望するのも欲望の一つです。世界中から苦しみを取り除きたいと望むのも欲望です。先に挙げた〝智慧″と〝勇気″と〝慈悲″こそ、
このような高い次元の欲望を湧き出させるものであります。
「持続可能な開発のための教育の10年」の成否は、人々の生命の内奥に訴えることができるかどうかにかかっています。
自分の生き方を変え、周りの人々にも内省を促し、社会の流れをも大きく変えていく--「教育の10年」を通じての未来のための努力が、
私たちの心の奥底から生まれたものであるとき、それは世界を変える力として結実するのです。
※「地球憲章」とは、公正で平和な社零そして持続可能な未来を実現するために、人類が共有すべき価値観、責任、原則を宣言したもの。
起草の中核を担ったのは、文化や宗教の異なる、世界24人の熟考からなる「地球憲章委員会」(本部・コスタリカ)。
※この寄稿は、英国の「開発教育ジャーナル」2005年2月号(http://www.dea.org.uk)に掲載されます。
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