2005年10月05日(水) 旧暦 二〇〇五年九月三日 [今日は何の日?]
アンネ・フランクとホロコースト展/弘前
アンネ・フランクとホロコースト展/弘前
展示は米国の著名な人権擁護団体サイモン・ウィーゼンタール・センターと創価大学の協力を得て開かれており、 弘前展は国内六十四番目の開催。国内ではこれまでに延べ百九十七万人が同展を見学している。
会場は約二百枚の当時の写真を基にホロコーストの歴史を紹介する「勇気の証言」と「アンネ・フランクとその時代」 の二つのコーナーで構成。
計画的に実行された虐殺の歴史を年代ごとに分かりやすく説明しているほか、強制収容所で使われた囚人服や毒ガス缶、 アンネと姉のマルゴットの直筆書簡なども併せて展示。当時を生きた人々の姿を通して、ホロコーストの悲惨さを表している。
初日はオープニングセレモニーが行われ、実行委を代表して創価女子短大の福島勝彦学長が「尊い命を失った犠牲者の姿を通し、 命や平和の大切さを感じてもらいたい」とあいさつ。テープカットをして開会を祝い、招待客らは展示の解説を聞きながら、 平和への思いを強めていた。
同展は十日(午前十時から午後八時)まで。最終日は同三時で終了する。
2005年08月22日(月) 旧暦 二〇〇五年七月一八日 [今日は何の日?]
「アンネ・フランク展」始まる
「アンネ・フランク展」始まる
「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの生涯をたどり、人権と平和の尊さを訴える「勇気の証言 アンネ・ フランクとホロコースト展」が21日、つくば国際会議場(同市竹園2丁目)で始まった。
94年の東京展以来63都市目。県内では95年に水戸で開かれた。27日まで(午前10時~午後8時、27日は同5時)。約100枚のパネル、アンネ直筆の手紙などで、600万人が虐殺されたホロコーストの実態、アンネ一家がこれに巻き込まれ、 収容所で亡くなるまでの歴史が描かれている。
問い合わせは創価学会茨城文化会館へ。
2005年05月11日(水) 旧暦 二〇〇五年四月四日 [今日は何の日?]
ゆたかなる精神の旅 世界の書籍展
ゆたかなる精神の旅 世界の書籍展
岩手日報での報道です。
|
世界の名著400点 盛岡で企画展 |
|
|
世界の名著を集めた「ゆたかなる精神の旅 世界の書籍展」 (創価学会同盛岡展実行委主催)は10日、 盛岡市みたけ2丁目の創価学会岩手文化会館で開幕した。 開幕セレモニーは約160人が出席。葛西仁弟実行委員長は 「本の持つ可能性を多くの人が見いだす機会にしてほしい」 とあいさつし、増田知事らがテープカットした。 同展は、ルネサンス期から現代までの希少本や豆本、 偉人の書簡など約400点を展示。 世界で2セットしか現存しないトルストイ全集90巻本をはじめ、日本で作られた0・ 95ミリ角のマイクロブック、 ベートーベンの書簡(復刻)などが訪れる人々の目を引いている。 同展は23日まで。開場は午前10時-午後8時半。入場無料。
|
|
2005年04月23日(土) 旧暦 二〇〇五年三月一五日 [今日は何の日?]
随筆 新・人間革命 066 庶民の和楽と栄光の四国――正義の歌声よ 世界に轟け!――
随筆 新・人間革命 066
庶民の和楽と栄光の四国
――正義の歌声よ 世界に轟け!――
ある日、戸田先生は、弟子たちとの懇談で言われた。
「人生、四十代になってみないと、勝敗はわからないよ。
特に女性はそうだ。
いな、人生の最終章の時に、どのような状態であったかで、一生の幸、不幸が決定される」
さらに、「正しき仏法は、総仕上げの時に勝利できる法である。ゆえに、信仰は絶対に必要なのである」とは、牧口先生の言である。◇
その日、私は、関西から、空路、四国の徳島に入った。
一九八一年(昭和五十六年)の晩秋である。
空は晴れていたが、風は冷たかった。
学会もまた、厳しき烈風に囲まれていた。
毒蜘蛛のごとき、背信と忘恩の輩による学会破壊の謀略の網は、無数の会員を締め付け、苦悩の闇に陥れた。
なかでも、四国は、陰険なる坊主が、邪悪な牙を剥き、衣の権威をカサに、魂の圧殺ともいうべき、弾圧を繰り返していたのである。
私もまた、名誉会長に就任して二年半、わが同志のもとへ、まったく、自由に動くこともできない状況が続いていた。
しかし! その大難のなかから、師子は立った。
鉄の鎖を断ち切り、師子は、激流に抗して、極悪への反転攻勢の前進を、勇躍、開始したのだ。◇
思えば、その前年(昭和五十五年)、香川、高知、愛媛、徳島の四県の千名の友が、私の待つ横浜の港へ、 はるばると船で駆けつけてくださった。
当時、”学会丸”に襲いかかる荒波をものともせず、波濤を越えて――彼らは、意気軒昂であった。
ああ、この尊き同志よ!
私は、桟橋に出て、一人、一人に合掌し、抱きかかえる思いで迎えた。
広宣流布に励みゆく方々をば、「当(まさ)に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」とは、「御義口伝」に仰せの 「最上第一の相伝」(御書781p)である。
皆が帰途についた時には、神奈川文化会館の窓べで、私たち夫婦は、船が見えなくなるまで、懐中電灯を振って見送りもした……。
この勇敢なる弟子に、信じあえる同志に、私は、なんとしても応えねばならないと、涙に濡れた。
ここから、私の四国への御恩返しの訪問の決意は、一日一日、限りなく深まっていった。◇
あの海の微風が吹く、徳島での会合の時。はつらつとした、婦人部の「若草合唱団」の皆さまが、ベートーベンの「第九」の”歓喜の歌”を、 美しい花園のなかで、清く明るく、晴れやかに、歌ってくださった。もちろん、ドイツ語である。
徳島が、日本における「第九」の初演(一九一八年)の地であることは、今でこそ有名だが、当時は、一般には、あまり知られていなかった。 その物証となる、初演のプログラムが徳島で見つかったと発表されたのは、翌年のことである。
合唱する彼女らの目には、珠玉の涙が光っていた。
そして眠りから醒めた天使のごとく、残忍の輩を見下ろし、楽しい賑やかな翼に乗って、幸福の武装をしながら飛び立った。
彼女らは、生き生きと勝ったのである。
――この九年後、狂気と化していった愚昧な宗門が、学会攻撃の材料としたのが、奇しくも、ドイツ語で歌った”歓喜の歌”であった。◇
若き指導者たちの男子部の愛唱歌「紅の歌」が誕生したのも、同じく、この四国であった。
それは、満月が郷愁を感じさせる、静かな夜であった。
徳島から、香川の研修道場に移ったあと、当時、四国青年部長だった和田興亜君(現・四国長)が、四国男子部の歌を作りたいと、 歌詞の案をもってきた。
彼らは、夜を徹して作ったのだろう。目が赤かった。
「よし、君たちのために、私が手伝おう!」と、私は決めた。
私の心は、一心不乱となった。幾度となく、推敲に推敲を重ねていった。
巡り歩きながら、完成の目標に向かった。
久遠の静かな輝きの月に照らされつつ、一行、また一行と、誇らかにペンを走らせた。弟子たちは、深い喜びと、自らの進路を確かめるがごとく、見事な完成を懇願するような顔で見つめていた。
ついに、積雲が裂けた!
そこから、燃え上がる空が輝いてきた。
曇った心を突き抜けて、永遠の我らの確固たる歌声の鼓動の響きが、胸を走った。ああ紅の 朝明けて
魁光りぬ 丈夫は……「子よ大樹と 仰ぎ見む」の一行には、”後継の青年よ、私よりも、もっと大きく成長せよ!”との願いを込めた。
また、「老いたる母の 築きたる」とは、あまりにも尊貴な学会婦人部に捧げた一節である。
いつしか、この明るく清らかな心に照らされた、青年たちとの思い出の推敲は、二十数度にも及んでいたようだ。◇
完成した「紅の歌」の力強い音律は、新たな世紀へ、勇者と勝利者としての、熱い魂のリズムと化していった。
最後の一歩まで勝ちゆかんとする、正義の四国の同志は、敢然と立ち上がった。
傲慢な権力を倒して、平和を築け! 傲慢と陰険と恥さらしの輩と、決別せよ!
”我ら広布の同志には、内と外に区別はない!”と、高らかに、過去より未来へ向かって、活発なる決意の警鐘を鳴らし始めた。
ついに、四国は、不滅の大船となりて、暗闇の暗礁から船出した。声高らかに、我らの讃歌を歌い、進み始めた。
新世紀へ、新時代へ、四国の庶民の団結は、断固として、勝ち始めていったのである。今でも、栄光のドラムの音は、ますます激しく鳴り響いている。
四国は勝った!
これからも永遠に勝っていくことを、私は信じたい。
「自由」と「平等」と「友情」と「広布」のために!
1999(平成11)年3月5日(金)聖教新聞掲載
2005年04月20日(水) 旧暦 二〇〇五年三月一二日穀雨 [今日は何の日?]
Q&A(8):入会したばかりなのに?
質問 昨年11月に入会したばかりです。先輩から仏法の素晴らしさを友人に語っていこうと励まされました。けれども、 あまり自信がないのですが……。
回答 『信仰の実感を、ありのままに語る』
難しく考える必要はありません。まず例えば、入会する以前と以後の自身を比べてみてはどうでしょう。
これまでにも、日々、勤行、唱題を続け、また学会の会合に出て、さまざまなことを感じたのではないでしょうか。
御本尊を拝することで、日々の課題に前向きに取り組んでいこうとする心が強くなっていった。あるいは、学会の会合に出て、 お互いの成長と向上を願う同志の励ましや思いやりに驚いた……。
そういった自身の実感を、ありのまま、そして自分らしく友人に語っていくことが、友人に仏法の素晴らしさ、 学会の素晴らしさを伝えていく第一歩になります。
◇
自分自身はまだ信仰の結果を出していないと思っているかもしれませんが、今現実に、 さまざまな課題に信心根本で立ち向かっている姿そのものを友人に示していったらどうでしょうか。
前向きに自信をもって生きている姿そのものが、仏法の偉大さを何より雄弁に伝えていくことになります。
◇
日蓮大聖人は「我もいたし人をも教化(きょうけ)候へ」(御書1361P、通解……仏法を自分も実践し、人にも教え、導いていきなさい) と仰せです。友の幸福を願って、自身のつかんだ信仰の素晴らしさを語り弘めることが、私たちの仏道修行です。
これまで自分が学んできた、仏法の見方、考え方を語ることで、友人に新鮮な驚きを与えていくこともできるでしょう。
と同時に、信心の実践でますます自分自身が“より魅力ある人間”に変わっていくことができます。そうした人間性の豊かさが必ず、 友人の理解を深めさせていくことにもなるのです。
餓鬼
智慧の言葉 生活にいきる仏教用語 2005年3月13日聖教新聞掲載
餓鬼
「手に負(お)えないガキ大将だ」「うるさい餓鬼だね!」など、俗に分別のない相手や子どもを卑(いや)しめる言葉に「餓鬼」 があります。
もともとは、サンスクリット語の「プレータ」という言葉で、本来は「死者」という意味です。
また、「祖霊」という意味もあることから、やがて仏教で、この言葉を取り入れて、死後の世界、 特に地獄にいる死者を餓鬼と呼ぶようになったと考えられています。
この餓鬼の特徴は、常に飢えて食物を欲している姿です。
日蓮大聖人の仏法では、餓鬼といっても、こうした死後の世界のことではなく、生命
の境涯の一つを表す「餓鬼界」として用いられています。この場合は、常に飢えや渇(かわ)きに苦しみ、本能のおもむくままに貪ったり、 様々な欲望に振り回されて自己を見失っている境涯を指します。
日蓮大聖人は、そうした際限ない欲望に突き動かされる境涯について「貪(むさば)るは餓鬼」(御書241P)と仰せです。仏法では、 こうした欲望に振り回されずに、力強い生命力で、欲望を制御し、プラスに転じ、前進と成長への原動力にできることを説いているのです。
2005年04月19日(火) 旧暦 二〇〇五年三月一一日 [今日は何の日?]
Q&A(7):悪を責めるとは?
質問 「聖教新聞」を読んでいて、なぜ「悪」を責めなくてはいけないのか、だんだん分かってきましたが、 どうしても宗教は寛容的でなければならないと思うのですが……。
回答 『放置すれば、悪はますます増長』
当然、宗教は寛容を求めていくものです。
しかし、悪に対して寛容であれば、悪はますます増長してしまうのではないでしょうか。それでは、 かえって民衆の幸福を実現する道を閉ざしてしまうことになります。ゆえに、創価学会は、そうした悪には厳しく責め続けているのです。
それは、一つには、「悪」の正体を白日の下(もと)に晒(さら)して、人々が悪人に騙(だま)されないようにするためです。
古代インドの釈尊が生きた時代、釈尊に反逆した提婆達多(だいばだった)は、 さも自らが仏法の戒律を厳しく守る修行者であるかのように見せかけました。自身が“聖者”であることを装(よそお)うためです。
そうした態度に、釈尊は提婆達多を“人の唾(つばき)を喰(く)らう者”と、舌鋒鋭く、その本性を明らかにしました。 王族からの庇護(ひご)に甘え、聖職者としてあるまじき貪欲を、釈尊は厳しく批判したのです。
日蓮大聖人も、仏法の真実を覆い隠す誤った教えに対しては生涯、批判し続けられました。
◇
また本当の意味で民衆を守るためには、一回だけ悪を責めれば、それで事足(ことた)れりというわけにはいきません。
その悪人自身が自己の非を認めず、悪事を拡大している限り、その悪を責め続けなければ、悪がまかり通る社会になってしまいます。また、 社会を構成する万人が悪の本性に気付かなければ、善悪の違いが曖昧な社会になってしまいます。
その意味で、「善」と「悪」の基準を人々が深く理解し、“悪に寛容な精神風土”を変革するために、悪の本性を暴き続けることこそ、 言論の使命なのです。
2005年2月27日聖教新聞掲載より
道楽
智慧の言葉 生活にいきる仏教用語 2005年2月27日聖教新聞掲載
道楽
「うちの子は道楽者だ」など、本業に身を入れず、趣味や遊びに熱をあげること、さらには、だらしがなく品行が悪いことなどを指す言葉が 「道楽」です。
この言葉は、仏教では、「仏道修行によって得た悟りの楽しみ」を意味します。
法華経薬草喩品には「道を以て楽を受け」(法華経244P)とあります。仏「道」修行によって、幸福という「楽」 の境涯を築きゆけるとの言説です。
それを可能にするのは、正法への信を根本にした、不断の行動と、旺盛な求道心です。清新な決意を失えぼ、惰性に流され、単なる“道楽者” になりかねません。
日蓮大聖人は「法華経を持(たも)ち奉る(たてまつ)より外(ほか)に遊楽(ゆうらく)はなし」(御書1143P)と仰せです。
いかなる人生の苦楽にも、南無妙法蓮華経と唱え、無限の生命力を湧(わ)き立たせていくことが、最高峰の人生を築く要諦です。
日々、生き生きと、唱題を重ね、功徳を満喫しながら、歓喜の実践に励んでいきたいものです。
2005年04月17日(日) 旧暦 二〇〇五年三月九日 [今日は何の日?]
Q&A(6):家の宗旨を守りたい
質問 学会に入会したいと思うのですが、親から家の宗旨を守りなさいと言われます。
回答 『“真実の宗教”でこそ、一家・家族は繁栄』
宗教といっても、先祖、今の家族、ひいては子孫の幸福・繁栄を実現しうる力がなくては意味がありません。力ある宗教を求めずして、
“今までずっとこうだったから”とするのであれば、
あなた自身を含めた一家一族の幸福を切り開いていくことは決してできないのではないでしょうか。
◇
ちなみに、日本の歴史で“先祖代々の宗派”がもつ意味を考えたことはありますか。
大半の家にとって先祖の宗派をたどると、おそらく江戸時代にぶつかると思います。江戸幕府はキリスト教徒による島原の乱以降、
キリシタンを徹底的に弾圧するために、すべての民衆を仏教徒とし、否応なく近くの寺院の檀家にするという檀家(寺請・
てらうけ)制度をつくりました。こうして寺院は、民衆掌握のための幕府の出先機関となり、政治権力を背景に大きな権力を持つに至ります。
そして民衆は勝手に宗旨を変えたり、檀家をやめることはできなくなりました。結局、
当時の民衆にとって自発的に宗教を選択する機会は奪われたと言っていいでしょう。そうした、いわば信仰の強制によって生み出された精神的土壌は、
現代にまで影響を及ぼしています。
◇
世界のなかで見た時、日本では“信仰は自らが選び取っていくもの”という意識が、まだまだ希薄なのかもしれません。しかし、そのなかにあって、
「人間のための宗教」を選択し、自身と家族の幸福を、自らの意志と行動で勝ち取ろうとしてきたのが創価学会員です。
一家一族の幸福と繁栄を実現する宗教を選び取ることが、親への最大の孝養にもなります。そのために、
勇気ある一歩を踏み出されることを願っています。
2005年2月13日聖教新聞掲載より
秘密
智慧の言葉 生活にいきる仏教用語 2005年2月13日聖教新聞掲載
秘密
「くれぐれも秘密を守ってくれよ」など、秘かにして公にしないことを「秘密」といいます。
仏法で説く「秘密」は、その法門が深遠であり、容易に人に説明できないほど深い教えであることを意味しています。
しかし、いかに深遠な法でも、人々の成仏を実現できなければ意味がありません。万人に真理を公開することなく、その教えを握ったままでは、 人は救えません。
したがって、神秘や謎めいたものをもてはやしがちな人間の心理を利用して“秘法”を“売り物”にするような生き方は、本来の仏法にはありません。
いわば、そうした秘密性を、ことさらに強調する宗教は、自ら“万人を救う意志がない”ことを表明しているに等しいのです。
日蓮大聖人の仏法では、末法のありとあらゆる人が成仏することこそが、如来(仏)の最高の秘密の力であると説いています。成仏の軌道を進む “奥義”を知る私たちは、この幸福の法則を万人に伝えていく使命を自覚し、仏法を語り弘めていきたいものです。


